どんぶりちゃわん

作品やイベントの雑感等々

「生きる」ということ。

 どうも、サケ茶です。

 4th前ですがあんまり関係ない記事を書きました。ウケる。

 今回の記事、タイトルからして何やら大層なもの書いてんなと思われるかもしれませんが全くそんなことないです。なんかこう、最近思ったことのまとめ的な記事です。コイツめんどくせえなウケる、くらいの気持ちで読んでいただけたら幸いです。

 

 

我思う、故に我在り

 これは17世紀の哲学者であるデカルトさんの言葉です。たぶん高校の現代社会とかで聞いたことがあると思います。どんな意味かっていうと、この世のものすべてが嘘だとしてもそれを疑い続けている自分は確実に存在しているよね、という意味です。これだとちょっとふわふわしすぎかな?下のリンクにもうちょっと詳しくてわかりやすく書いてあるのでそちらを読んでください。1分で読めます。

 

我思う、ゆえに我あり - 哲学的な何か、あと科学とか

 

 この言葉を受けて僕は自分の感じたことに対して素直に生きていきたいなと思ったわけです。この世の出来事なんて結局のところあるかもわからないんですよね、友達との他愛ない会話も、食い入るようにして見たアニメも、おんおん泣きながら観たライブも。でも、その「あるかもわからない」ものに心を動かされた自分っていうのは確実に存在するんですよね。だから最近は自分の思ったこと・感じたことを信じて生きていきたいな、なんてことを考えていました。

 以上、自分の気持ちは信じてみようというお話でした。あと何年かで四半世紀生きてることになりますけどようやくここに辿り着いたのウケるな。

 

 

 

輝くって、楽しむこと

 最近、病院に行く機会がありました。そこで入院してる患者さんなんかを見るわけですよ。ピンピンしててどこが悪いんだかわからない人から色んなチューブが体から出てて意識があるんだかないんだかわからないような人まで、そりゃ色んな人がいるわけです。医療機器に頼ることで何とか命を繫いでいるような重症の患者さんを見ると、これは果たして「生きている」と言えるのだろうか、と考えてしまいます。

 そりゃ家族なんかから見れば命があるだけありがたいもんだし「生きている」と言えるのでしょうが、その人自身が果たして「生きている」と言えるのかという話です。ちょっと悪い言い方をすると「生かされている」人は「生きている」のだろうか、ということ。そういう人は食べる喜びも好きなことをする楽しみも味わえないわけで、僕が同じ立場だったら到底「生きている」とは言えないな、と感じてしまいました。そのとき僕は、どうやら自分にとって「生きる」ということは「楽しむ」ということだったらしい、というのが分かりました。

 ここで題に戻るわけです。

 「輝く」ことは「楽しむ」こと。もしかして最高に「楽しい」時は最高に「生きてる」し最高に「輝いてる」と言えるんじゃないの?、と僕は思いました。結局ライブの話になってしまいますが、キャストの方から「みんなも輝けましたかー!?」とMCで問われることがありますよね。僕はそんなとき、そのときに出せる最大限の声で「イエーイ!!!」と答えます。ライブ中は時を忘れるくらい楽しいんですよね。本当の本当に楽しんでいる瞬間は「オレは生きてるッ!!!」と思うので「輝いてる」と言えるような気がする、という話でした。読んでくれてる方がどう考えるかはわかりませんが、たぶん僕が最高に楽しんでる瞬間は「輝いてる」ので発光してると思います。ホタルか。

 こう考えると作中のこのセリフもなるほどなあと思うわけです。

私たちにも見えてたよ。輝いてるみんなが。

 2期13話「私たちの輝き」

 僕も早くドゥームで浦の星女学院の生徒になりたい。*1

 ここまでは照らされている「惑星」の話。「輝く」方法というのは1つではなくて、彼女たちの眩し過ぎる光を受け止めている瞬間は僕も「輝いてる」のかもしれない。だが、「恒星」になる、つまり自分の力で「輝く」ためにはこれまた努力が必要で、なんだか辛いこともあるし、やらなきゃいけないことは多いし、大変だなあと改めて実感している近頃です。でも自分で頑張ったと言えるくらいには最近は努力して日々を生きてるし、自ら「輝く」ということは一朝一夕で出来ることではないと思うので疲れすぎてしまわない程度にこれからも頑張っていければなと思います。

 

 

 なんだか4thに関係あるんだかないんだかわかんないやつになっちゃった。まあ来る4thライブを万全な状態で迎えるため、近頃考えていたことを自分が納得できるように整理しました。そういう記事でした。ありがとう。みんな、4th楽しもうね。

 

*1:なれないがなれる気がする。オタクの妄言。