“Love Live!”と叫びたい。
ラブライブ!サンシャイン!!において、Aqoursは“Love Live!”を体現してみせた。
過去の自分を肯定すること。今を全力で駆け抜けること。未来のあるかもわからない希望に思いを馳せること。
“Love Live!”とはそういうことなのだろう。
彼女たちはがむしゃらに走り続けた、夢に向かって。
その姿勢そのものが“Love Live!”だった。
では自分は?
「10人目のAqours」である自分は胸を張って“Love Live!”と言えるような人生を送っているのだろうか。
とても言えない。毎日を惰性で生きている。
心の底から叶えたい夢、なんてものも持ち合わせていない。
「叶うといいな」くらいのものはひねり出せばいくらでも出てくるが、それは本当の夢とは言えないだろう。
そんな自分が嫌いだし、変えたいのだ。
そのために。
嘘でもいい。強がりでもいい。
全力で“Love Live!”と叫びたい。
Aqoursと一緒に。“Love Live!”を目指す仲間と一緒に。「みんな」と一緒に。
この言葉を叫べたのなら、今の自分より前に進める気がするから。
そこに辿り着くまでに抱いたありったけの想いを乗せてこの言葉を叫べたのなら、それはもう“Love Live!”だから。
だから全力で叫びたい。
I live,I live Love Live! days!!
「みちしるべ」。
「みちしるべ」。
茅原実里さん24枚目のシングルであり、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのED主題歌です。
フルサイズMVのリンク置いとくんでとりあえず聞いてください。
結論から言うと、この曲を聞いてポロっと涙が出てきてしまったんですよね。それくらい素晴らしい曲でした。
今回のライブは野外ステージだったんですが、なぜそのようなブチ上がり環境の中で涙を流すに至ったかというと、「土地」の話になるんですよ。
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µ'sから目を背けた男の話。
どうも、サケ茶漬けです。
今日はμ'sの話。
ラブライブ!µ's Final LoveLive!~µ'sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪~から丸2年。
µ'sがその物語の幕を一旦閉じてから2年。
「もう」2年と言うべきなのか、「まだ」2年と言うべきなのか。
と、しみじみ振り返っていますが、僕はFinalライブを観ていません。
µ'sの「終わり」から目を背け続けている人間なわけです。それが意図してか、意図せずしてかは別として。
僕がラブライブ!に出会ったのは3rdライブと4thライブのちょうど中間くらい。
スクフェスから入り、アニメを見て、しばらくしてから声優さんのことを知って。
それまでの人生の中でこんなに一つのことに夢中になったことがあったか、というくらいのめり込みました。
こんなに夢中なんだから一生好きなんだろうな、と根拠のない自信を抱いていた過去の自分。
でも冷めるときはいつも一瞬で、唐突で。
気づいたらいつの間にかµ'sのことを追わなくなっていました。
劇場版を観たのも地上波で放送されてから。
今こんなブログを書いていますが、µ'sにかける熱量が完全になくなった時期があるため、どこかµ'sに触れることに後ろめたさを感じる自分がいる。
そんな僕はもう一人の自分に問いかける。
「そんな人間に振り返る資格なんてある?」
意味のない問。それはわかってる。資格なんてもの最初からいらない。
でも問わずにはいられない。
一度目を背けてしまった人間だから。
そんなこんな考えているうちに時間はどんどん過ぎ去っていくわけです。
考えててもしょうがないなと思い、とりあえずµ'sの曲を聴き始めました。
懐かしい曲、自分が冷めてしまってからの曲、いろんな曲を聴きました。
そうしているうちに流れ出す「MOMENT RING」。
この曲を聴くとまるで昨日のことのように蘇る、彼女たちに全力だった日々。
1期1話を見たときの異様なまでの引き込まれよう。
初めて「ライブ」という場で現実に飛び出してきているµ'sを見たときの衝撃。
「KiRa-KiRa Sensation!」を初めて聞いたときの感動。
いろいろなものが胸にこみ上げてくる。
もう一度問いかける。振り返る資格があるか、と。
ないわけがない。µ'sを夢中で追いかけていた瞬間があったのだから。
人それぞれµ'sを夢中で追いかけていた瞬間の集合体である「MOMENT RING」があり、それが大切な思い出かつ人生の糧であるわけですよね。
追わなくなった期間があるとかいうのはどうでもいい。
夢中だったとき抱いた感情、彼女らに動かされた自分が消えるわけではない。
ずっと胸に残り続ける。
「ないことがあった」のが重要なのではなく「あることがあった」のが重要なのだと。
ようやくそう思えたんですよ。
瞬間をリングへと閉じ込めて いつも眺めてたい
これからはもっとよろしくね だって離れたりできるはずないんだよ
µ'sとの日々はいつだってそばにあった。
これまでも、そしてこれからもそばにあり続ける。
思い出だけじゃないからね
あたらしい夢が生まれてくると 僕たちは知ってるよ
今思えばこの人生、ラブライブ!に触れてからはµ'sからもらったものを糧にして歩んできました。
嬉しいときも、寂しいときも、どんなときも。
歩みを進めるうちに生まれるのは、他人に笑い飛ばされてしまいそうなちっぽけな夢や人生に関わるであろう大きな夢、様々な夢。
その夢を叶えようと努力してこれた、今でも努力できているのはやっぱりμ'sのおかげという部分があるんですよ。
自分自身も努力はしてきたし、周りの身近な人たちに助けられることもあった。
でもµ'sに助けられてきたこともたくさんあったよね、と思うくらいにはお世話になっていることを最近思い知らされました。
こんなブログを書く程度にはね。
2年越しにまた大切なものをµ'sからもらい、芽生えるのは感謝の気持ち。ただそれだけ。
Finalライブもいつか見ようと思ってますが、ここまでくるともう生半可な気持ちでは観れなくて。
「僕も夢を叶えたよ」と彼女たちに胸を張って言えるような、そんなときに観たいんですよね。
大きな夢を叶えたときにこそ、心からの「ありがとう」が出てくるような気がするからね。
なので観るのはまだ先です。
でもやっぱり言っておきたいんですよね、感謝の言葉を。なのでとりあえず形にします。
今まで支えてくれてありがとう。これからもよろしくね。
矢澤にこちゃんは本当にまほうつかいだった、という話。
どうも、サケ茶漬けです。
最近全然ブログを更新していなかったので、リハビリがてらちょっとした話でもしようかなと。
µ'sの矢澤にこちゃんっているじゃないですか。
あの子ってまほうつかいなんですよ。
こいつ頭おかしくなったのか?と思われた方、僕は元から頭がおかしいようなもんです。残念でした。
「魔法使い」という言葉がひらがなに開かれている時点でお分かりだと思うんですが「まほうつかいはじめました!」の話です。
自分、ターンもらいますね。自分語りいいすか?(カードゲーマー特有の早口)
僕、小学校から高校まで柔道をしてたんですよ。
階級を二つで分けるとすると僕がいた階級は重量級の方に入ります。
小さい頃から、やれ体格いいねだのやれがたいいいねだの言われてきましたが、あれ太ってるねの隠語ですよね。フォローになってないからな。
まあ太ってるのは事実なので、よく言われます~(ニッコリ)としか言えませんが。
その体重が災いしてか高校2年の夏、試合中に膝を怪我してしまったんですよ。
膝が本来曲がるべき方向の反対方向に強い力が加わり、「ブチッ」と弾力性のなくなったゴムがちぎれるような音がしました。
アドレナリンどばっどばだったためか、怪我をした瞬間はそこまで痛みを感じず「自分の体からこんな音ってするんだな」とのんきなことを考えていました。
しかしいざ立とうと膝に体重をかけると途端に激痛が。
「あ、これ本当にやばいやつだな」とその時初めてわかりました。
なんとか立って試合を続けようとしたのですが、さすがに見ていた顧問の先生からストップがかかりすぐさま病院へ。
紆余曲折あって膝の炎症がある程度おさまった数日後、専門の大きい病院でMRIを撮り、医者からかけられた言葉がこれ。
「膝の靭帯が完全に切れてますね、手術が必要です」
どうも前十字靭帯というのが完全に切れていて、それを再建する手術が必要だったらしいです。
丸がついてるやつです、いとも簡単に切れやがった根性のない靭帯は。
しかも手術後、競技復帰するためには半年間のリハビリが必要とのこと。
全て終わった今でこそ、そんなこともあったなあと笑い飛ばすことができますが、当時の僕はそれはもう悲壮感に溢れた顔をしていたと思います。
結局、検査当日は顧問の先生に「靭帯切れてたみたいです(笑)」と報告し、そのまま帰宅。
「半年って長いよなあ…」と考えながら、何をするでもなく布団の上でゴロゴロしながら音楽を聴いてたわけなんですよ。
そんな時、僕の耳の飛び込んできたのが「まほうつかいはじめました!」。
まるで「笑顔は世界を平和にする」とでも言わんばかりに笑顔の押し売りをしてくるんですよね、この曲。
何だこの曲、気持ちが沈んでるやつに向かって図々しいな、と思わず笑っちゃって。
その時、全部どうでもよくなったんですよ。ちっちゃなことで悩んでたなあって。
別に一生柔道ができなくなるわけでもないし、ましてやこの怪我のせいで余命半年になりました、というわけでもない。
くよくよしてるだけ無駄だなって。
こうして、まほうつかい・矢澤にこの「笑顔のまほう」は僕の心に届いたわけです。
手術のことが告げられてから初めて笑顔にさせられたことに気づき、自分の単純さにさらに笑えてくる次第。
歌ってものは人を変える力があるんだなあ、と実感したお話でした。
なんで今この話をしたかというと、矢澤にこちゃん役を担当している徳井青空さんの所属事務所が4月から変わるという話を聞き、そういえばこんなこともあったなあと思い出したからでした。
徳井青空さん、所属事務所が変わっても変わらず僕らを笑顔にしてくれることを期待しています。
徳井青空さんのより一層のご活躍を祈り、今回はここらへんで締めさせていただきます。
その後のサケ茶漬けはというと、半年間のリハビリを無事に終え、臨んだ高校最後の大会で県ベスト16の好成績を収めることができました!!!
…というと聞こえがいいですが、2回戦敗退でした。
さすがに半年のブランクはきつかったわ。
「好き」に理由はいるのか。
どうも、サケ茶漬けです。
突然ですが皆さん、他人に向かって好きなものを堂々と「好き」と言うことはできますか?
私にはちょっと難しいです。
人の好みというのはどうしてもわかれてしまうもので、ちょっと合わないなとか、ストレートに「嫌い」という感情をぶつけられてしまうことってありますよね。
私はそういうことを聞いてしまうとどうしても気分が落ちてしまったり、ひどい時には好きなもののはずなのに、ちょっと距離を置こうかなと思ってしまいます。
でもやっぱり好きなものは「好き」って胸を張って言えるようになりたいんですよ、友人なんかに勧めたいんですよ。良いものは広めたいし、あわよくば一緒に楽しみたいですから。
何かを勧めるにはその人や作品のどこが好きなのかという理由が必要ですよね。
最近、その「好き」の理由を考える機会がたくさんありました。
私が好きなものはたくさんありますが、例を挙げる方が分かりやすいと思うので、ここでは「ラブライブ!サンシャイン!!」、「伊波杏樹さん」が好きということにします。
ここ何か月か、上記2つに対する「好き」にこれまでにないほど真剣に向き合って過ごしてきました。
拙いながらもラブライブ!サンシャイン!!の感想ブログなんかをちょくちょく書いてみたり、伊波さんへの誕生日メッセージを綴る企画にお誘いいただいたりして。
そうして自分の気持ちと向き合っていて、案外自分の「好き」に対してどこが好きなのかわかっていないんだな、と感じました。
私は普段から物事を深く考えない方で、漠然と「好き」を抱いていることが多かった。読んでくださっている方の中にもこういう方いるんじゃないでしょうか?
そんなこんなで、自分の好きなものについて色々と考えてるうちに思ったんですよ。まず何かを好きなことに理由っているの?って。ただただ好きなだけで終わりでいいんじゃないの?って。
ラブライブ!サンシャイン!!も伊波さんも、自分の中で「好き」になった瞬間って曖昧なんですよ。
初めて「好き」と感じた瞬間がわからないと当然「好き」の理由もわからない(これかな~と思う瞬間・理由はなくはないんですけど)。でも今現在、確かに「好き」は自分の中にある。
なんだこれ、「好き」って一体なんなんだ。
ぐるぐると思考の渦に飲まれているうちに閃きました。
「好き」になった瞬間と「好き」である状態って違うんだ。
何かを「好き」と思った瞬間から人は「好き」である理由を探し始めるんだと思うんです。
理由を見つけるのが早いか遅いかは人それぞれ。たまたま自分は遅い方だっただけ。
つまり、「好き」になることに理由はいらないけど、「好き」であることには理由は必要なんじゃないかなってことです。
「好き」で居続けることってかなり難しいこと。常に向かい風だらけ。
心無い言葉をぶつけられることがあったり、悪意はなくても何気ない一言で気持ちが冷めてしまったり。
でも一度「好き」になったことだから、できるだけ長い間「好き」で居続けたい。
そんな思いを抱きながら私は「好き」の理由を探し続けるわけです。
いつ自分は「好き」じゃなくなるんだろう、最後まで「好き」で居続けられるかな、といつもびくびくしています。
Twitterなんかでダークな感情をぶつけられても、好きなものは好きなんだって言ってる人、本当にすごいなって思うんですよ。最近なんか特に多いよね。
その人たちはみんな、「俺はこれのここが好きなんだ!」ってはっきり「好き」に対する理由を持てている人で、自分も明確に「好き」に対する理由を持ちたいなって思うわけです。
まあ前よりは自分の「好き」に対して理由を言えるし、自信も持てた気がするけどね。
好きなものを「好き」って言いたい、そんなオタクの戯言でした。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
何かを好きな気持ち、大切にしていこうな。