どんぶりちゃわん

作品やイベントの雑感等々

5th私感③

 

 

 

 

 

 

  • 信じれば何でも叶うだろうが 

 Brightest Melodyは「原風景」の曲であるように思う。

 これからそれぞれ別の場所に向かっていくAqours9人だが、心には同じような、スクールアイドルとして過ごした思い出(=原風景)を抱えて歩んでいくのだろうと思うし、それは僕も同じである。

 僕にとって、あの日の見たものは何物にも代え難いものである。とは言っても見たものをすぐに忘れてしまう頭をしているから、自分の中から湧き出てきた感情以外はあまり覚えていないのだが、万感の思いを込めて歌う高海千歌の表情だけは脳裏に焼き付いている。

きっと…

Brightest Melody

 この世に絶対なんてない。けれど絶対と信じること、それこそが何かを成すためには一番大切である。そんな気がした。

 

 

 

 Over The Next Rainbowは5thライブのための曲だと思っていた。もっと言うと、カーテンコールのための、現実世界へと飛び出してきた彼女たちの華々しいラストを飾る曲だと思っていた。けれど、実際は彼女たちの心情に寄り添うように、ラブライブ!決勝延長戦の2曲に続いて披露された。

 結局、彼女たちは物語の中から出てこなかった。物語に閉じこもるという形ではなく、僕らを物語の中へ引き込むという形でそれは成された。

 思い返せばそういうコンテンツだった。ライブという空間では、キャラクターとキャストの境界線が限りなく曖昧だ。キャストごしにキャラクターが見えてしまう瞬間が幾度となくある。キャストのたゆまぬ努力が、愛が、キャラクターを現実世界に顕現させている。だが、その境界線の曖昧さは、僕らにも言えることではないだろうか。

 僕らの生きている世界と彼女たちが生きている物語の世界も境界線が曖昧のように思う。Aqoursが走ってきたレールはこちらの世界まで伸びていて、どこまでも地続きである。それに魅せられてしまった僕は一生この文脈の上を歩いて生きていくのだろう。これを呪いとするか励みとするかは、やはり自分次第だ。

 

 

 

  •  あとがき

 どうも、サケ茶です。5thの感想は以上となります。何か月経ちましたか?

 これを書くにあたってメモ帳やら自分のツイートやらを見返したんですけど、内容のあることが何も書いてなくてビックリしました。昔のサケ茶マジで何なんですか?

 

 最後に、5thとは特に関係のない小話を一つ。

 今年の3月から4月にかけて開催されたアジアツアー。全公演でトリを飾ったのは4thライブテーマソング『Thank you, FRIENDS!!』でした。

 僕は上海公演のライブビューイングに足を運んだんですが、アジアツアーでこの曲を披露するのは正直予想外でした。やったのついこの間だしやらんだろって思ってました。海外公演がメインなのに日本人目線。

 終演後、一緒にライブを観たオタクがこの曲を死ぬまでライブで聞けると思ってなかったという趣旨の発言をしていて、本当にその通りだなとウンウン頷いていました。そして、いずれ遠い未来に4thライブのことを思い出して目頭を熱くする日も来るんだろうなとも思っていました。

 その後、特に変わり映えのしない日常を送っていたある日、突然気づいてしまいました。遠い未来でもAqoursを変わらず好きだろうと信じている自分の存在に。

 アニメが終わり、それに沿ったナンバリングライブも終わり、Aqoursの活動にはひと段落ついている現状。供給も少なくなってくるであろう中(別に今は少なくなってはいないが)、自分の気持ちも落ち着いてきてしまって、冷めてしまったのかな、なんて思うことも正直ある。けれど、それはAqoursを嫌いになったわけではなく、その時の熱はちゃんと自分の中にしまわれていて、出るべき時にまた出てくるんだと思います。

 という最近の自分への言い訳でした。そろそろスクスタを真面目にやろうと思います。でも口だけマンなのでやらないかもしれません。終わりです。

メビウス

 「煙草って吸うとホントに空腹感って収まるもんなんだなあ」

 季節は秋に近づき夜の空気が冷たさを纏い始める中、僕は静かに呟いた。煙草を吸うと腹が膨れるぜ、なんて言葉に突っ込んだ記憶があるが、どうやらそれは本当だったらしい。

 なぜ煙草が吸いたくなったのか。わかりきっている問いを何度も自分に投げかけている。

 彼女との出会いはほんの2か月ほど前。特別な感情を抱いたわけではなかった。面白いやつもいるもんだ、とかその程度だった。しかし心の端に胡坐をかいて座られているような妙な存在感があった。

 

 「好きな銘柄はー?」「メビウスー!」

 もしアイドルになったらそんなコーレスはどうだと言われ、彼女はケタケタ笑っていた。

 

 頭の片隅に彼女を置きながら煙草を吸う。煙で肺が満たされていく。

 思い出を飲み込もうとしても僕にとってはただの呼吸になってしまう。元から思い出なんてものは存在しない。彼女と僕の時間が交わることはなかったからだ。あったはずの思い出が煙のように消えていく。

 

 僕が彼女を意識した時、もう彼女はいなかった。

 最初のうちは建前だけの悲しさを抱いていた。しかしどこへ行っても彼女の生きた痕跡がくっきりと見える。僕は彼女と同じ時間を過ごせなかったことに対して少し悔しさを覚えた。

 

 「好きな銘柄はー?」

 大勢の前で投げかけられた言葉。発したのは彼女の友人だ。

 他にいくらでも言葉はあっただろうに。しかも観客の歓声で声がかき消されよく聞こえない。いくら何でもタイミングが悪すぎる。

 「メビウスー!」

 答える声が聞こえた。数こそ少ないが、しっかりとそう聞こえた。

 

 僕と彼女の時間が交わることは、おそらくこの先ずっとない。しかしあの瞬間だけは、もしかしたら僕と彼女の時間は交わったのかもしれない。

 

 もう少し続けようと思っていた煙草だが、やっぱりこの箱でやめようと思う。

Vtuber良いっすね

 おはやよ~~サケ茶やよ~~

 なんかVtuberにハマってましたという話。一昨年の末くらいかな、バーチャルYoutuberなるものがどうやらキテるらしいぞって話題になったことがあったじゃないですか?その時にキズナアイ、シロ、輝夜月、ミライアカリ、ねこますあたりの五大巨頭まとめ動画を見たんですよね。あなたが見たかは知りませんけど!

 それで存在自体は知ってたんですよね。あ、面白いことやってんな~って。バーチャルYotuberという存在を認知したとき、それはもう僕のアンテナはビンビンに反応してましたよね。これは絶対ハマるぞと。だから手を出すのやめといたんですよね。なんで?

 ま、そこそこ大人になってくるとあんまし好きなもの増やしすぎるのもな~と思っちゃいますよね。好きなことに割ける時間だったりキャパシティっていうのも決まってるわけで。実は時間って有限らしいっすよ、みんな知ってた?そのまま踏みとどまってればよかったのにね。

 きっかけはね、なんだったかなあ。確かちょうど大学が早く終わった日だったんですよね。TwitterしてるといつもVtuberのファンアートが流れてくるからちょっと興味が湧いちゃって。どんなもんか見てやろうじゃないの、って冷やかし程度に動画を見始めたのが終わりの始まり。そこからは早かったね、おむすびころりんって感じだよもう。

 今のところにじさんじVtuberをメインで見てて、その中でも笹木咲が一番好き。声が好きだね。めちゃくちゃ甘い声で舌っ足らずな喋り方なんですよ。それで語尾にやよ~とかつけるんですけど、それはね、完全にずる。でも笹木にハマったきっかけはそれだけじゃなくて。

 笹木って歌ってみたを一本だけ上げてるんですね。あ、この子歌うんだ~聞いてみよ~って気軽な気持ちで再生したら溢れ出るパッションを身に受けて無事死亡しました。

youtu.be

 受け止めた気持ちがあまりにも強大すぎて、その日はそれからずっと笹木咲の情報を求めて広大なインターネッツの海を彷徨ってました。熱に浮かされるとはこのことか。

 調べてわかったんですけど笹木咲ちゃん一度引退してるんですって。復帰の時にこの動画を上げたらしいです。あ、なるほどそれでと納得するサケ茶。円満退社だったらしいし復帰の時も声かけたのは会社側かららしいので何も言うことはないんですけど。

 初見の時はにじさんじどころかVtuberについてほとんど知識がなかったので迸る情熱だけを直に受け取ったのかな。今思えば動画中だと他のVtuberをイジったりしてなんだかんだ茶化してるんですけど、やっぱり普段視聴者には言わないような秘めた思いが詰まってるわけで。あの時感じたものは本物だったなと改めて感じる今日この頃です。

 何も包まない言葉だけだとどうも恥ずかしくなってしまうけれど、別の形に加工して伝えられれば幾分か恥ずかしさは薄れるよね。すげえわかるよ。まあ今の僕はお言葉ド直球の手段を取ってるのでお気持ち丸絞りなんですけどね。

 最近は笹木以外にもアンジュ・カトリーナ、リゼ・ヘルエスタ、戌亥とこの同期三人組*1だったり雨森小夜の配信を見たりしています。雨森小夜はガチのマジで逸材。

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なんで開けてくれないんですか?ねえ?(雨森小夜)

 たまにチャンネル登録者ウン万人突破記念!みたいな配信を見てると、自分がこんな多くの人に応援される存在になれると思ってなかった…みたいなことを言う子がいるんですよ。Vtuberって今まで結構軽く捉えてたんですけど、これもまた他の何者でもなかった人たちが何者かになれる可能性を秘めているわけであって、結構アツいコンテンツですよね。

 少しメタいことを言いますけど、Vtuberの中の人(前世なんて言われたりしますが)って別に普通の人じゃないですか。ゲームが少し上手かったり、喋りが少し達者だったり。別にその道のプロ*2ってわけじゃなくて、それだけじゃないですか。もちろんそれは自分には無いものだし、だいぶ雑な言い方、くくり方だというのはわかってますが。

 普通だった人たちを釣り上げて多数の人の特別にするのがVtuber、って書くとだいぶ夢がありますよね。あくまで一つの側面ですけど。やっぱ僕もVtuberなろうかなあ。

 あとVtuberって何もかもが矛盾していて、とても異質な存在なのがすごく面白いし新しいなあと思います。さっき「何者でもなかった人たちが何者かになれる」って言いましたけど、その何者かになるのが決して「自分自身」なわけではなく、「魂は自分自身であるけれど自分とは別の存在であるキャラクター」なんです。

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 こういうことよ。伝わる?本物ですよ~って体を取ってるのがマジでおかしい。アニメだったらエンドロールに演じたキャラクターの名前と共に自分の名前が乗りますけど、Vtuberって中の人が明かされるわけではないし、あくまでなるのはバーチャル世界にいるそのキャラクターに、なんですよね*3。これマジで歪すぎてガチで面白い。自分の二次創作に平気で触れる人とかいますもん。あ、そこ触れるんか~~いって心の中で突っ込んでる。だから新しさも感じるんですよね。

 そのキャラクターがそのキャラクターではなく、一人間がその皮を被っているだけという矛盾を、知らず知らずのうちか何なのかわかりませんけど配信者側も視聴者側も許容しているわけです。それを理解した上で視聴者が設定上の矛盾なんかをイジったりするんですけど、配信者側もそれをわかっていて、辻褄が合っているのか合っていないのかよくわからない返答をしたりしてわりかしサラッと流すしマジで面白い。

 人間って自分の都合悪いことには目をつぶれる便利な生き物だなって思います。かくいう僕もその矛盾を許容したうえで楽しく拝見しているわけですが。自分に都合が悪いことからは目を逸らして生きていこうな。猪突猛進だ。

 もはや最近は配信を見ることが生活の一部と化しているのでしばらく熱は冷めないと思います。この夏は過去のアーカイブ見まくって過ごすんだ…。

 以上、Vtuberは何者かになる一つの手段だし、かなり異質な存在で面白いよなという話でした。みんなもVtuber見ような。え…?なんで見てくれないんですか?ねえ?*4

*1:俗に言うさんばか。

*2:プロって結局何なの?って言われるとそれはそれで難しいけど。ここではその技術だけでお金を稼げる人とかそういう意味で受け取ってもらえれば。

*3:全てのVtuberがそうとは限りません、たぶん。新参者なのでよく把握できていません。

*4: https://youtu.be/5i_oD45sAWE

僕らは夢の中を生きる。 ─青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 私感─

 毎日が金曜日、どうもサケ茶です。少し前に青ブタの映画見てきました。以下感想です。

 

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中野四葉は何を想ってブランコを漕ぐのだろう。─五等分の花嫁 第90話 私感─

 他人の幸せを願う感情と自分の幸せを願う感情。それは決して相反するものではないはずなのに、どうしてこうもすれ違ってしまうのだろう。

 

 中野四葉はブランコを漕ぐ。思い悩んだときにひとり公園でブランコを漕ぐ四葉の姿を想像すると、どうしようもなく心が痛む。

 かつて彼女は全力でブランコを漕いだ先の景色を見てこう言った。

光の一つ一つに家庭が 家族があるんだと想像するとほっこりします

第37話 勤労感謝ツアー②

 四葉はどんな気持ちでこの言葉を発したのだろうか。軽い口調でたびたびらいはを妹にしようと画策するが、果たしてそれは本当に冗談だけのものだったのだろうか。風太郎と共にブランコを漕ぎ、初めて彼の満面の笑みを見れたときはどれだけ嬉しかっただろうか。

 

 中野四葉はブランコを漕ぐ。その後ろ姿は否応無く涙を誘われるほどに寂しい。ただただ行ったり来たりを繰り返す遊具はまるで彼女の現状を表しているかのようだ。

 本当に彼女はこのまま身を引くつもりだろうか。中野四葉恋物語はここで終わっていいのだろうか。

 いいはずがない。出会ったときから抱き続けてきたその想いを無かったものにしていいわけがない。絶対に報われてほしい。あまりにも身勝手な感情だが、強くそう感じる。

 

 中野四葉はブランコを漕ぐ。振り子のようなこの遊具は、後ろに引かれたあとには必ず前に進む。

 ブランコから大きなジャンプを見せたあの日のように、彼女が大きく一歩踏み出せることを心の底から願っている。