どんぶりちゃわん

作品やイベントの雑感等々

「An seule étoile」 私感。

凄まじかった。

役というフィルターを通さない生の伊波杏樹はこんなにも、こんなにも。

僕は彼女のことを全然知らなかったのかもしれない。

幸せ、愛、悔しさ、反骨心、激情、希望。

様々な気持ちを歌に乗せて表現していた。

歌と表情だけでこんなにも感情が伝わってくるものなのか。

感情を揺さぶられ続けた2時間だった。

 

彼女は言った、「私には歌と芝居しかないから」と。

そしていつものように目を細めた。

その時のどこか悲しげで、なのに揺らぐことのない芯のようなものを感じさせる笑顔が忘れられない。

彼女は生き方を決めてしまったのだろう。

彼女がこれから行く先にはたくさんの苦難や苦悩が待ち受けているかもしれない。

そんなやつらに心を折られそうになった時、少しでも、ほんの少しでも支えになれる存在でいれたらなと本気で思った。

 

彼女は言った、「ステージに立つのが怖いと思った」と。「逃げ出したかった」とも言った。

半年前、6回もの大技を成功させたあと「ちょっぴり怖かった」と打ち明けてくれたのは記憶に新しい。

その時に初めて彼女だって人間なんだということを思い知らされた。無意識に彼女を神格化し、崇め奉っていた自分をぶん殴った。

それでも足りなかった。心のどこかで彼女は何に対しても勇猛果敢に立ち向かっているものだと思っていた。

そんなことはなかった。彼女は人間だった。人間なんだよ。

それほどまでに追い詰められていたとは思わなかった。強い人間だとばかり思っていた。

僕はいくら彼女のことを見誤るんだろうか。

でも、彼女に弱音を吐いたということは私達ファンを少しは信頼してくれているのかなと思うと嬉しかった。

そんな空間を作ることができた僕達はそのことを少しだけ誇りに思って良いと思う。

彼女が120%自分を誇ってくれるその時が来るまで、彼女が言う「変わった人」であり続けたいなと思った。

 

 

彼女が持っている輝きはみんながみんな持っているものではないと思う。

だが、彼女が見せる弱さは誰しもが持っているものなのかもしれない。

だからこそ僕は彼女に惹かれてしまう。多分に彼女と同じようなものを抱えて生きているから。どうしたって自分を重ねてしまう。

でも彼女は誰よりも懸命に、泥臭く生きているように思えた。

彼女と自分を重ねたところで僕の輝きは大きくなることはない。むしろ自分の情けなさが浮き出るだけだ。

彼女のようになりたい。

他人を愛せるようになりたい。自分を表現できるようになりたい。

どうしたらなれる?

ゆっくりとでも進んでいくしかないんだと思う。

転んで、立ち上がって、転んで、立ち上がって、なりたい自分に近づいていくしかないんだと思う。

 

彼女は言った、「君らも凄いんだからね、こんな私を引き上げてくれるんだから」と。

彼女の愛を素直に受け止めている自分もいた。

でも、どうしても「全然凄くねえよ」と納得できない自分がいた。やはりどこまで行っても自分が納得できるかどうかなのだ。

じゃあどうする?

自分が納得できるくらい凄くなってやろうじゃねえかよ。彼女に負けないくらい頑張って頑張って頑張って、自分のやりたいことやってやろうじゃねえか。

そういう気持ちだ。今はね。

僕は弱い人間だから小さい壁ですぐ折れそうになると思う。そんなときに今日のことを思い出したらもうちょっとだけ頑張れそうな気がする。

まだまだ1人だけで夢に向かって走ることはできない僕だけど、勝手に彼女の力を借りて、できる限り遠くまで走っていきたいと思う。

それが僕なりの彼女への恩返しだ。

「生きる」ということ。

 どうも、サケ茶です。

 4th前ですがあんまり関係ない記事を書きました。ウケる。

 今回の記事、タイトルからして何やら大層なもの書いてんなと思われるかもしれませんが全くそんなことないです。なんかこう、最近思ったことのまとめ的な記事です。コイツめんどくせえなウケる、くらいの気持ちで読んでいただけたら幸いです。

 

 

我思う、故に我在り

 これは17世紀の哲学者であるデカルトさんの言葉です。たぶん高校の現代社会とかで聞いたことがあると思います。どんな意味かっていうと、この世のものすべてが嘘だとしてもそれを疑い続けている自分は確実に存在しているよね、という意味です。これだとちょっとふわふわしすぎかな?下のリンクにもうちょっと詳しくてわかりやすく書いてあるのでそちらを読んでください。1分で読めます。

 

我思う、ゆえに我あり - 哲学的な何か、あと科学とか

 

 この言葉を受けて僕は自分の感じたことに対して素直に生きていきたいなと思ったわけです。この世の出来事なんて結局のところあるかもわからないんですよね、友達との他愛ない会話も、食い入るようにして見たアニメも、おんおん泣きながら観たライブも。でも、その「あるかもわからない」ものに心を動かされた自分っていうのは確実に存在するんですよね。だから最近は自分の思ったこと・感じたことを信じて生きていきたいな、なんてことを考えていました。

 以上、自分の気持ちは信じてみようというお話でした。あと何年かで四半世紀生きてることになりますけどようやくここに辿り着いたのウケるな。

 

 

 

輝くって、楽しむこと

 最近、病院に行く機会がありました。そこで入院してる患者さんなんかを見るわけですよ。ピンピンしててどこが悪いんだかわからない人から色んなチューブが体から出てて意識があるんだかないんだかわからないような人まで、そりゃ色んな人がいるわけです。医療機器に頼ることで何とか命を繫いでいるような重症の患者さんを見ると、これは果たして「生きている」と言えるのだろうか、と考えてしまいます。

 そりゃ家族なんかから見れば命があるだけありがたいもんだし「生きている」と言えるのでしょうが、その人自身が果たして「生きている」と言えるのかという話です。ちょっと悪い言い方をすると「生かされている」人は「生きている」のだろうか、ということ。そういう人は食べる喜びも好きなことをする楽しみも味わえないわけで、僕が同じ立場だったら到底「生きている」とは言えないな、と感じてしまいました。そのとき僕は、どうやら自分にとって「生きる」ということは「楽しむ」ということだったらしい、というのが分かりました。

 ここで題に戻るわけです。

 「輝く」ことは「楽しむ」こと。もしかして最高に「楽しい」時は最高に「生きてる」し最高に「輝いてる」と言えるんじゃないの?、と僕は思いました。結局ライブの話になってしまいますが、キャストの方から「みんなも輝けましたかー!?」とMCで問われることがありますよね。僕はそんなとき、そのときに出せる最大限の声で「イエーイ!!!」と答えます。ライブ中は時を忘れるくらい楽しいんですよね。本当の本当に楽しんでいる瞬間は「オレは生きてるッ!!!」と思うので「輝いてる」と言えるような気がする、という話でした。読んでくれてる方がどう考えるかはわかりませんが、たぶん僕が最高に楽しんでる瞬間は「輝いてる」ので発光してると思います。ホタルか。

 こう考えると作中のこのセリフもなるほどなあと思うわけです。

私たちにも見えてたよ。輝いてるみんなが。

 2期13話「私たちの輝き」

 僕も早くドゥームで浦の星女学院の生徒になりたい。*1

 ここまでは照らされている「惑星」の話。「輝く」方法というのは1つではなくて、彼女たちの眩し過ぎる光を受け止めている瞬間は僕も「輝いてる」のかもしれない。だが、「恒星」になる、つまり自分の力で「輝く」ためにはこれまた努力が必要で、なんだか辛いこともあるし、やらなきゃいけないことは多いし、大変だなあと改めて実感している近頃です。でも自分で頑張ったと言えるくらいには最近は努力して日々を生きてるし、自ら「輝く」ということは一朝一夕で出来ることではないと思うので疲れすぎてしまわない程度にこれからも頑張っていければなと思います。

 

 

 なんだか4thに関係あるんだかないんだかわかんないやつになっちゃった。まあ来る4thライブを万全な状態で迎えるため、近頃考えていたことを自分が納得できるように整理しました。そういう記事でした。ありがとう。みんな、4th楽しもうね。

 

*1:なれないがなれる気がする。オタクの妄言。

朗読で描く海外名作シリーズ「シラノ」 感想。

どうも、サケ茶です。

 

今回は音楽朗読劇「シラノ」の8/9(木)13:00~ の公演を観劇してきました。

シラノ役を武内駿輔さん、クリスチャン役を村田太志さん、ロクサーヌ役を伊波杏樹さんが演じられていました。

 

皆さんご存知かもしれませんが、私は伊波杏樹さんを応援しています。

なので正直に言うと今回の朗読劇、伊波さん目当てでした。

彼女が「シラノ」をどう受け止め、どうロクサーヌを演じるのか。それが見たかった。

しかし武内さん演じるシラノ、村田さん演じるクリスチャン、そして伊波さん演じるロクサーヌ、それぞれに魅力を感じてそう遅くない段階で「シラノ」の世界に引き込まれて行きました。

 

…と言ってもやはり伊波さんを見に来たことには変わりないので、伊波杏樹さん成分多めの文章になります。

そこはオタクだからさ、許してよ。

 

 

 

 

 

ここからは多分にネタバレ成分を含みます。これから本朗読劇を観に行く方、展開等を知りたくない方はブラウザバックをお願いします。まあこの作品、かなり昔の作品だから展開に関してのネタバレ云々ってのもおかしいけどね。でも僕は優しいので。

 

 

 

 

 

 

 

  • 雑感

観劇後まず初めに思ったのは、やっぱりプロの声優さんはすごいなあということ。

声だけでその人物をありありと浮かび上がらせていて、それはもう驚愕の一言。

 

声だけで表現する、ということは僕達が得る情報の大部分を占める「視覚」に頼らないということ(衣装やライトなどの眼から得られる情報もありましたが)。

ですから、観客各々で頭の中に描かれた人物像はかなり違ったと思います。

それがなんとも嬉しかった、観客である僕達が信頼されているようで。

まあその道で食ってるわけでもない僕の想像力なんてたかがしれてるわけですが、「君達は君達の世界を持ってていいんだよ」と言われると、元から誰に許可されるものでもないですが、嬉しくなるのです。

 

映像や特殊技術の発展した21世紀だからこそ、“物語を紡ぐ”ことの原点に戻り、余計な装飾は行わずに衣裳でキャラクターや時代設定を伝え、最小限の美術と照明だけで、物語を、場面を、そしてキャラクターを自由に想像してもらいます。

 

演出家 田尾下哲さんのメッセージより

音楽朗読劇「シラノ」公式サイト

 

あと至極当たり前のことなんですが、フランスの作品に触れるの初めてだよって方にも配慮されていて随分わかりやすい劇になっていたと思います。

観劇するにあたって「シラノ」の日本語訳を読んだんですが、まあ教養不足でわからない部分がたくさんありましたね。

日本でいうところの「大塩平八郎の乱」だったり 「菱川師宣」みたいな歴史的な出来事や人物*1が会話の中で多数出てくるので、そこをばっさりカットして登場人物を3人に絞り(ド・ギッシュ伯爵なども出てきましたが話すのは3人)シンプルになっていたのはフランス初心者にも優しかったかなと。

 

 

 

  • 「シラノ」の世界、3人の演技

いや、本当に素晴らしかった3人の演技。

 

まず武内さん演じるシラノが僕の中のイメージを良い意味でぶち壊してくれました。

武内さんの演技はデレマスのプロデューサーでしか聞いたことがなかったんですが、「あ、こんな力強い声も出せるんだ」と驚かされるばかり。

と思っていたらおどけるようなひょうきんな声まで。

シラノという人物は戦ってみたり、恋に悩んだり、バラードを歌ったりと振れ幅が大きいのですが、自由自在に飛び回る声音でシラノの感情を見事に操っていました。

「シラノ」を読んだ時、物語の結末ゆえ「純愛」だとか「漢」という印象が強かったのですが、生のやり取りでは自分が想像していたよりもユーモラスな一面が際立っていました。

 

お気に入りのシーンは第二場、「ええ」の8連発。

シラノの感情の浮き沈みが小気味よく思わず笑ってしまいました。

 

 

次に村田さん演じるクリスチャン。

こちらは気弱な美男子といった感じ。とても声がお綺麗でした。

第三場のシラノとの掛け合いのシーンや第四場のバルコニーシーンだけを見ると間抜けと評されてもおかしくないようなクリスチャンですが、「さっきのあれは、なかなかバカじゃ出来ないぞ」とシラノが言っているように、クリスチャンの察しの良さのようなものが見られるのが第五場のアラス包囲網。

シラノが書いた告別の手紙を見たクリスチャンは涙の跡があることに気づく。

そこでシラノがロクサーヌに対して想いを寄せていることに気づくような描写。

そしてロクサーヌにクリスチャンの「外面」でなく「魂」を愛していると言われ、彼女が本当に愛しているのは自分ではなくシラノだと思い知らされたクリスチャンはシラノに言うのです、「君はロクサーヌのことを愛しているんだろう?告白するべきだ」と。

その後の「いくら僕が美男子だからって、あなたの幸せを奪う権利はない。そんなのは不当だ!」という言葉。

村田さんの口から紡がれる、綺麗でなおかつ力強いその声だけでクリスチャンの気高き精神が見えるシーンがとても好きです。

 

 

そして伊波さん演じるロクサーヌ

まず、初めの演者3人が登壇する場面で度肝を抜かれました。

先陣を切って登壇するシラノ。続いてクリスチャン。最後に舞台へ来るのはロクサーヌ

舞台上のロクサーヌはシラノと一瞬視線を交えたのち、少し伏し目がちに目をそらしクリスチャンへと視線を向けます。

交錯するロクサーヌとクリスチャンの視線。一瞬の間がありロクサーヌは微笑みます、慈愛に満ちた表情で。

この間なんと数秒。この数秒だけでロクサーヌと2人の関係性やロクサーヌからクリスチャンへの想いが見て取れるのです、まだ物語は始まってすらいないのに。

「舞台女優すご。。。」となった瞬間でした。

この時点で僕のテンションは最高潮、凄いものを観れました。でも彼女の快進撃はまだまだ続きます。

 

今回、伊波さんの声優・女優としての力量を最も感じたのは第六場、ラストシーンです。

アラス包囲網から15年、ロクサーヌ修道院に入り平和な日々を過ごしている。

その15年の歳月をどのように声だけで表現するのか。

その結果はあまりにも自然。

声色が変わっているわけではないのに声に深みが増し、才気溢れる若い女性がどこかあどけなさを残しながらも慎みを持った淑女へと変化していました。

これにはさすがに「あなた一体どこまで行ってしまうんですか…」と思わざるを得ませんでしたね。

正直これは生の演技を観ないと伝わらない。僕が持ち合わせている語彙力では十分に表現しきれません。鳥肌ものでした。

 

あと、第六場のクライマックスでロクサーヌのシラノに対する呼び方が「お兄様!」から「シラノ様!」に変わったの、シラノを親友としてではなく愛する人として意識するようになった心情の変化が表されているようでとても良かったです。

ロクサーヌの心情を乗せた伊波さんの叫びに心が震えました。

伊波さんの純粋な愛を叫ぶ演技というものを観たことがなかったので、この人もう何の役来ても怖くないのでは?とつい思ってしまいました。

 

 

 

  • 最後に

こうして今回はフランスを代表する名作に触れたわけですが、これ伊波さんがいないと出会ってないんですよね。こんなに素敵な作品なのに。

伊波さんが飛び込む世界に僕も飛び込んで、その度に知見が広がって、見える世界が変わって行って。すごく好循環なんです。

ここから思うのは何かに心底夢中になってそこから何かを受け取ろうと貪欲になることは対象が何であっても悪いことではないし、むしろ自分は良い方向に転がっていくのではないかなということです。夢中になる対象自体が悪いことの場合を除いてね。

だから誰になんと言われようが自分の好きなもの・ことは貫き通した方が良いし、自分のことをわかろうともしないやつは鼻で笑い飛ばせばいいんですよね。

こう口で言うのは簡単でも実際にやるのは難しいってわかってるけどね。

ただ、常にそういう気持ちだけは忘れずにいたいなと思うサケ茶でした。

 

 

 

  • おまけ

ロクサーヌの気持ちがわかるという話。

ロクサーヌは初めクリスチャンの「外面」に惹かれましたが、最後には美しい恋の言葉を紡ぎだす「魂」を愛したわけです。

ここではその「魂」がシラノだったというのは置いといて。

 

言い直すと、最初は顔で好きになったけどだんだん中身も好きになっちゃったってわけですよね。

外見から内面へと移ろいゆく「好き」の対象…どっかで聞いたことあるな…。

「あ、これ僕が伊波さんのこと好き*2になった流れじゃん」と気づくのはそう遅くはなかったです。

 

僕が伊波さんを初めて見たとき、「この人めっちゃ美人だ!!!タイプ!!!」と感じたのは今でも覚えています。

でもだんだんと活動を追っているうちに少しだけ内面が見えてきて、僕の魂と強く共鳴しました。語弊がありました。こちらの魂が勝手に打ち震えただけです。

 

冗談はさておき、伊波さんの個性みたいなもので共感できるものが多かったんです。

極度に自信がないところだったり、モノへの向き合い方だったり。

そんな彼女が頑張っている姿から無限に元気と勇気を貰えるんですよね。

さすがに持ってるモノは違いますが。

 

そんな伊波さんの力に少しでもなりたくて。彼女が立ち止まったときには少しでもいいから背中を押すことができる存在になりたくて。彼女が後ろを振り向いたときには「君を応援してる僕はここにいるよ!」と言いたくて。

だから応援するんです、伊波杏樹という人間を。僕はね。

 

ただの1人の人間にかける期待にしては重過ぎるかもしれないけれど今回も、これから多くの人を引き寄せるであろう器の大きさを見てしまったから。

ただの人間が放つ大きな輝きに自分の可能性を信じざるを得ないから、希望をくれるから。

だから伊波杏樹という人間を追いかけていきたい。

 

そんな僕が好きでたまらない伊波杏樹さんとの出会いも顔だったよという身も蓋もない話。

人生を変えるものなんてどこに落ちてるかわからないし、そこらへんの石ころ気軽に拾ってみてもいいんじゃない。磨いたら光出すかもよ。

 

あとやたら中身が中身がって言う人いるけど顔にも正当な評価下されるべきだよね。

顔が良いのはそれだけで大きな武器だぞ。

 

おわり。

*1:例えに他意はありません。

*2:ここでの「好き」は恋とか愛とかガチ恋とかそういう類のものではなくリスペクトに近いものです。

夢を預けてなるものか。

ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 3rd LoveLive! Tour ~WONDERFUL STORIES~ の埼玉両日・大阪2日目に参加した。

そこで披露された「WATER BLUE NEW WORLD」、どれも圧巻の出来だった。

 

あの世界は9人だけの世界なんだと、そう思わせられるだけの彼女たち自身の輝きがそこにはあった。

 

幕間に流されるダイジェストアニメ。そこで彼女たちが叫ぶ1から9のカウントアップに続いて僕も「10!」と叫んでいた。

あの美しい世界にどうしても存在を許してほしくて、彼女たちに取り残されたくなくて。

だが、その行為はもう今後の自分にはできない。

あのパフォーマンスを見た後では、「10!」と叫ぶことが自分の夢を彼女たちに預けているようにしか思えなくなったからだ。

 

僕は彼女たちのキセキを見届けてきたが、彼女たちと同じ体験をしてきたわけではない。

結局のところ、あらゆる困難や苦悩に真っ向から足掻いてあの世界までたどり着いたのは彼女たちなのだ。 

 

僕らは夢を追い続けている限り10人目のAqoursだが、彼女たちは僕らではなく、僕らもまた彼女たちではない。自分たちだけの道がある。

 

夢とは将来実現させたい希望や理想のこと。

自分で叶えなくて何か夢だ。自分を変えられるのは自分しかいない。

 

「何か」に触れて人生が変わったという人をよく見るが、それは違うと思う。

いくらその「何か」を見た先で人生が変わっても、それは「何か」が自分を変えてくれたのではなく、「何か」に感化され自分が変わったのだ。

 

自分の夢は自分で描く。自らの足でしっかりと歩んでいく。

「ついてきてくれますか?」の問いにしがみつくのではなく、走り続けなくてはならない。

どんなに辛いことだって最後には笑顔に変えられるように、笑って彼女たちと並び立てるように。

 

今度は僕の番。

僕には僕の夢がある。それは人から見れば夢なんて呼べるようなものではないかもしれないけれど、自分が夢だと思ったらそれは夢だ。そう思えるようになった。

そしてまだ見ぬ夢がある。彼女たちとの時間を胸に刻めばどんなことだって乗り越えてゆける。そう感じた今回のライブ。

 

 

絶対に叶わないことにでも手を伸ばし続けることで何かを成し遂げられると知った。

そんな大切なことを教えてくれた彼女たちと「ずっと一緒に行こう!」「I live,I live Love Live! days!!」「We got dream!」と叫んだ。

叫んだからにはそれに見合う自分になろう。

 

 

「最高の今日にしよう」と足掻き続けることで明日の道への「手がかり」が得られることを知った。

どんなにみっともなくても最後まで足掻いてやろうじゃないか。

 

 

君のこころは輝いてるかい?」「君は何度も立ち上がれるかい?」の問に「Yes!」と答えた。

いつか、心に一片の曇りもなく「Yes!」と言える日まで生き続けよう。

 

 

喉から手が出るほど欲している輝きを目の前でまざまざと見せつけられた。

思わず目をそらしそうになるくらい眩しかった。できるんだ。僕にもできるんだ。

 

 

僕らは「いつまでも夢の途中」で、未来は自分の捉え方や選び方でいくらでも変えられると知った。

終わったって終わりにしなければいいのだ。夢に終わりはない。

 

 

水色の世界を心に刻んだ。

あの景色を胸に、どこまでも進んでいこう。

 

 

自分にも「胸に眠る輝き」と「目覚める前の力」があるんじゃないかと思った。

きっとあるんだ。次は僕だけの物語を見つけに人生という旅に出る。

 

 

勇気は自分の胸にすでにあると知った。

もう何も怖くない。挑戦あるのみだ。

 

 

大切なものをもらった。力をもらってばかりなのに夢まで預けるつもりか。

そんなわけにはいかない。

 

こうして、Aqoursに対して無責任に投げつけた夢を「それ返せよ」と自分勝手に奪い取ったのであった。

どこまでもわがままだが、こんな自分も愛せるように夢へとひた走る。

それが彼女たちが見せてくれた世界に対する僕の答えだ。

伊波杏樹さんの在り方。

 どうもサケ茶です。3rdライブに臨むにあたって出家したので改名しました。 

 

いや、ハンネが変わったのなんてどうでもよくてですね…。

3rdライブもうすぐですよ。なんだかんだ早かったね、時が過ぎるのは。もう2ndライブの埼玉公演から9か月ほど経ちます。あれからアニメ2期もあり、ファンミもあり、ユニットカーニバルもあり。Aqoursの活動が楽しみで「これがあるからそこまで頑張ろう」と今までよりもメリハリがある生活が送れていた気がします。

 

より「今」を大事にできたかな、なんて。

 

 さて、もうそこに迫っている3rdライブですが、あなたは何に「期待」しますか?という話です。僕はどうしたって「推し」に期待してしまうんですよ。

 

 

  • 「推し」の話

「好き」の形というものは多種多様なもので、「このキャラが好き!」「このキャストさんが好き!」「この曲が好き!」とたくさんあると思います。その中で一層強くこだわりを持ち、そのものに対して特別な感情を抱かざるを得ないものが「推し」なわけですよね。たぶん。結構な人が「推し」に期待すると思うんですよ。僕はそうです。

自分の話をさせてもらうと、キャラクターで言えば千歌、善子、梨子あたりが好きです。まあメンバーみんな好きなんですが。でも「推し」ではないんですよ。自分がどこのカテゴリに入るかと言われたら、いわゆる「箱推し」に分類されるのでしょう。

 

キャストに「推し」はいます。伊波杏樹さんです。好きです。超大好きです。あとで話すのでここではこれくらいにしておきます。好き。

 

そして3rdライブで聴きたい曲があります。

それは高海千歌ちゃんのソロ曲「One More Sunshine Story」です。

これがまた良い曲なんです。アニメでの千歌の軌跡、そしてこれからの道まで想像させてくれますよね。

「Beginner's Sailing」のように「さあ一緒に!」と言われているわけではないんですけど、つられて足が勝手に動き出しちゃうような、そんな曲。背中で語る高海千歌ちゃんになんど勇気をもらったことか。特に2番の「誰かに届くはずだから…!」は心に響きますね。

 

2期では入学希望者を増やすために奮闘する千歌たちAqours。その想いは浦女のみんなに、内浦のみんなに、アキバドームの大観衆に届きます。そして画面を超えて僕達の元へも。その想いを受け取ったが最後、僕達の「One More Sunshine Story」を探さなければならない。

 

 

走って走って行きついた先には何かがあるんだろうか。

そんなの「追いかけてるときは笑顔が止まらない」なら考える必要はない。

 

この先独りじゃ不安だな。

大丈夫。絶対に同じ輝きを追い求めて「待ち受ける人」がいるから。

 

自分が夢を追い求める理由は?

そんな大層なものはいらない。「どきどきしたいから」、それだけで良い。

 

 

そんな、好きなものに対してがむしゃらに前へと進む力をくれるのが「One More Sunshine Story」なんだと。そう僕は思います。

 

 

こんな曲を実際に伊波さんが披露したら?

 

 

偉そうなこと言って始めましたが彼女が考えていることなんて何一つわからないんですよ。本人じゃないんで。でも彼女の生き様のようなものに強く強く心を打たれた自分がいました。初めはメルパルクホールでの「終わりじゃないよ、始まりだよ!」の一言。それからというものの、○○役ではなく、1人の人間として伊波杏樹さんに惹かれていきました。なんというか、伊波杏樹さんの在り方にいつも勇気をもらえるんですよね。

そんな伊波さんの在り方が語られているのがVOICE BRODY vol.2でのインタビュー。

 

輝きとは好きなことを好きであり続けること、好きであり続けることが原動力となって起こせる奇跡がある

 

ラブライブ!サンシャイン!!」TVアニメ2期を終えて見つけた輝きは何か、という問いに対しての伊波さんの回答です。「ラブライブ!」が絶頂期の中、その後継グループのような存在であるAqoursのリーダー、高海千歌役に抜擢された伊波さん。大役を背負い、苦悩しながらも「好き」を貫き通すことで高海千歌ちゃんを、Aqoursを、そして僕達を想像もしないような場所まで導いてきてくれました。

 

そんな道筋を辿ってきた彼女だからこそ、より力強い言葉になります。

 

いろいろなことを経てみて「大好き」って言葉にしなきゃ伝わらないし、大好きなものをきわめてもっと好きになっていかなきゃならない。そうすることで大丈夫になっていくんだなっていうことは感じるんですよね

 

この好きなものに対する姿勢は本当に共感できます。僕も好きなものへの在り方、みたいなものを書き殴ったことがあるんですよ。下にリンク貼っておくので是非読んでください。あまり人に読ませるものではないのかもしれないんですけど、上記の伊波さんの言葉に少しでも共感を覚えた人は何か感じるものがあるんじゃないかなと思います。その感じたものは是非大事にしてください。

 

saketyaduke11.hatenablog.com

 

 で、なんでこんな記事を書いたかっていうと

 

好きなことを好きでい続けることの勇気って、いる人はいると思うんです。好きだからこそ、何かの拍子に苦手になっちゃったり挫折してしまうこともある

 

これなんですよね。伊波さんと僕では悩んでいたことのスケールがまるで違うんですけど、好きなものを好きでい続けることっていうのは結構勇気がいることだと思うんです、僕もね。伊波さんはそんな人にまで寄り添ってくれるんですよ。おそらく自分がそうだったから。

彼女、自分でも色んな所で言ってるように基本ネガティヴなんですよね。人気絶頂のコンテンツで活動をしていて、なおかつTwitterのフォロワーも30万人近くいるのにキャパが500くらいの箱でソロイベやるんですよ?信じられます?「○○役の伊波杏樹じゃなくて一人の人間としての伊波杏樹を好きな人なんているのかな」なんて言って(ソースは忘れました)。

ソロイベに行けなかった者としては、いくら初めてのソロイベだからってもっと大きい会場でやってくれてもいいじゃん、なんて思ってました。でも、彼女が一歩を踏み出す舞台としてはちょうどいい距離感の会場だったのかなと最近思えてきました。一歩成長だね。

「Le merveilleux VOYAGE」に参加できた方々、是非誇ってください。あなたたちは伊波杏樹の華々しき船出を見届けたんですから。その体験を絶対に後悔させませんよ彼女は。

 

そしてもう一つ、あのソロイベには爆弾がありましたよね。そう、「NamiotO vol 0.5 ~cover collection~」です。そこに込められた想いを綴ったブログではこんなことを言っていました。

 

タイトルの「0.5」
これはいろんな作品で役から私を知ってくれた方が
たくさんいる中で、
いつか伊波杏樹として歩き始めた時に
それを〝1〟とするか〝0〟と思うかは人それぞれで。
全然それでよくって( ˙ᵕ˙ )
だからこそ
その中で感じれる想いや届けたいことがある
絶妙な〝いま〟を意味して 0.5 としましたっ

 

どんな考えだって尊重してくれるんですよね。人によって考え方や感じ方は違うから。僕の在り方を肯定してくれたから彼女の在り方も全力で肯定したくなる。そこにあるのは感謝の気持ち。彼女が大切なものをくれたからお返しに大切なものを上げたい。あなたを応援している人はここにいるんだよ、と示し続けたい。だから僕は応援するんです。

 

  • 2人の「One More Sunshine Story」

こんな風に、どんな「好き」の形をも肯定してくれる伊波杏樹さんが歌う「One More Sunshine Story」めちゃくちゃ楽しみじゃありませんか?

僕は何よりも楽しみです。どんなに自信のない人間にも前に進む勇気をくれるから。伊波さんもこの曲に勇気をもらったのではないかなと思います。

この曲で言われていることは伊波さん(や僕)の考えとは正反対だと思うんですよ。ネガティヴな人ってのは何かにつけて理由をつけたがるんですけど、千歌ちゃんは「そんなのいらねえ!」って言ってるんですよね。…いや、いらないとは言ってないんですけどそもそも好きなものに対しての理由を「どきどきしたいから」「きらきらしたいから」しか必要としてないんですよ。そんな無条件に好きなものを好きでいられる人に憧れるんです。

20年も生きてくるとどうしたって生き方の根っこの部分というものは変えられないんですよ。それはもう個性だから。そんな自分だけの在り方を尊重してくれるのが伊波さんで、まだ見ぬ未来へと前に進む力をくれるのが千歌ちゃんなんです。最強の二人かよ。

 

と、まあ一通り言いたい事も言い切ったのでここらへんで終わりにします。

 

最後に一つ。

 

高海千歌役の伊波杏樹でいるときは、彼女の人生を背負って何事もしていきたいなと思います。私も彼女を喜ばせたいですから

 

好きでい続けたらいつか叶う夢もあるんだっていうことをホントに知りました。好きだからこそ絶対に気は抜かなかったし。だから、"高海千歌"という一人の女の子が大好きです。いつか、彼女からも「大好きだよ」って言われたいですね

 

 これもVOICE BRODY vol.2から。「誰かを喜ばせたい」「好きだと言われたい」。そんな気持ちが彼女の原動力なのかもしれませんね。3rdライブはそんな喜びと好きに溢れたライブになると思います。楽しみだなあ。